ブルターニュの歴史クレープの作り方レシピ

クレープの作り方レシピをご紹介。クレープのことをもっと知ろう♪

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クレープの発祥地 ブルターニュの歴史・風俗習慣・文化

---歴史---

もともとはケルト系アルモリカ人の住地だったが、紀元前58年古代ローマのガイウス・ユリウス・カエサルによって征服され、ローマ領ガリアのアルモリカ地方となった。4,5世紀になってブリテン島やガリアにおけるローマ帝国の支配が大きく後退すると、ゲルマン系アングロ・サクソン人に襲われたブリテン島西南部からケルト人が海峡を越えて大量にこの半島に来住してきた。ブリテン島から来たケルト人をフランスではブルトン人と呼び、彼らが住む地域をブルターニュと呼ぶようになったものである。

中世初期には三王国が分立したが、やがてブルターニュ公国に統一された。ブルターニュ公国はフランク王国に形式上臣従したが、実質的には独立的な地域であった。ローマの遺産の上にゲルマン系フランク人の支配が形成されたフランス主要部とは異なり、ブルターニュではケルト系の風俗・風習が強く残存する。地理的にイングランドに近い(実際にイングランド王室であるアンジュー家が領有していた時期がある)ため、しばしばイングランド王の介入を招き、英仏百年戦争ではブルターニュ公国の支配権をめぐってブルターニュ継承戦争(1341年 - 1364年)が起こった。

近世になるとフランス王国の力が強大化し、最後のブルターニュ女公アンヌ(在位1488年 - 1514年)が即位すると、フランス王シャルル8世がブルターニュに侵攻、ハプスブルク家のマクシミリアンとアンヌの婚姻を無効とし自身との結婚を強制した。シャルル死後もアンヌはルイ12世との再婚を余儀なくされ、アンヌが死去するとその娘クロードは皇太子時代のフランソワ1世と結婚、1532年ブルターニュはフランスに併合された。この以後はパリから派遣された知事が地方行政に当る。またフランス皇太子は代々ブルターニュ公を名乗るようになった。これはイギリス皇太子がプリンス・オブ・ウェールズを名乗るのと同じである。

18世紀末のフランス革命では反革命王党派の一大根拠地となり、またカトリックの牙城でもあった。中央政府に反逆的な特異な地方としてブルターニュの開発は大きく遅れたが、近年ヨーロッパ連合 (EU) の補助金が大量に導入され、この地方の生活水準は著しく向上している。なお、ブルターニュ半島西端のブレストはフランス最大の軍港となっている。

---風俗習慣・文化---

フランス中央とは風俗習慣が全く異なるため、現在でも相続法など民法の一部については独自の慣習法が認められている。

ブルターニュの緯度はおよそ北緯48度で樺太中部とほぼ同じであるが、北大西洋海流による西岸海洋性気候の恩恵を受けその高緯度の割には温暖で過ごしやすい。ただ一年を通して西風が強く日照時間もさほど長くないことや元々土地が痩せていることなども加わって、他の地域(小麦が主食、ワインがメインの飲酒)とは違った食文化が定着した。代表的な郷土料理としては小麦の代用として重宝されたそばを利用したガレットや冷涼な地方でよく育つりんごを発酵・蒸留させたシードルがある。更にアイルランドやウェールズなど他のケルト地域と同様、ビールやウイスキーも生産されている。また独特の風味を持つ塩バターやキャラメル、大西洋の恵みの象徴でもあるオマール海老(ロブスター)や牡蠣を使った海鮮料理などもブルターニュ特有の食材・料理である。

宗教面では、フランスでも有数のカトリックの強い地域となっており秋にはハロウィンのお祭りも催される。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』